『ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記』小林和彦 著 新潮文庫

本の紹介

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 (新潮文庫) [ 小林和彦 ] 楽天市場

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文庫裏表紙の紹介文

「早稲田大学を出てアニメーション制作会社へ入ったごく普通の青年がいた。駆け出しながら人気アニメ作品の演出にも携わるようになったが、24歳のある日を境に、仕事場では突飛な大言壮語をし、新聞記事を勝手に自分宛のメッセージと感じ、また盗聴されている、毒を盛られているといった妄想を抱き始め……。四半世紀に亘る病の経過を患者本人が綴る稀有な闘病記にして、一つの青春期。」

この本を読もうと思ったきっかけ

この本を何となく手に取って紹介文を読んだ時、読もうという気になったのは、二つの点に引っかかったからでした。

一つは、著者がアニメ会社に勤めていたということ。

僕も大学を出た後、完全にモラトリアムの延長のような形で映画の専門学校に行き、その後、なぜかシナリオをやりたいと思い、小さなアニメ会社にもぐりこんだ経験を持っています。

この本の著者である小林さんは、動画の作画から入り演出に行くのですが、僕の場合は、「制作」というどちらかと言えばあまりクリエイティブではない、テレビ業界で言えばADみたいな仕事をしていました(のちに少しシナリオにも関わらせてもらうのですが、結局才能があるとも思えなかったし、なによりその道でずっと食べていくという展望が自分の中で見いだせなかった僕はアニメ会社自体を辞めてしまったのです)。

そこに著者と僕の間にうっすら共通点を見出しました。

もう一つは、副題にある、統合失調症闘病記、という言葉です。

先ほど書いた、映画学校では、僕は主にドキュメンタリー映画を学んでいました。

2年の時のドキュメンタリーの実習では、同学年の男の子が取材の対象者でした。僕の共同制作者は同じクラスの女の子で、彼女の恋人がその男の子でした。

彼は著者と同じように統合失調症(昔の呼び名では精神分裂病)だったのです。

映画は『メモリーサーフィン』というタイトルで、彼のいくつかの妄想と思われる発言を確かめに、また彼の家族も取材するという目的のために彼の故郷である長崎を訪れるという内容でした。

学生による拙い作品で、いま考えるともっとああすればよかったな、という点が色々あるのですが、たまにその頃のことを思い出したりもします。

患者自身による稀有な記録

精神科医の岩波明さんの巻末の解説によると、著者のような統合失調症の患者本人が論理の破綻(はたん)無く文章として自身の幻覚や妄想の体験や病歴などを語るということはものすごく珍しいことなのだそうです。

また、解説の中で触れられているように、小林さんの病態は統合失調症と躁うつ症の合併症ともいうべき「統合失調症感情障害」というジャンルに属するのだそうですが、この 「統合失調症感情障害」 の場合は、 一般的な「統合失調症」に見られるような 思考や言語の障害が出にくいというのが原因としてあるようです。

ものすごく面白い

こういった本を面白いと表現するのは不謹慎であるとする向きもあるかもしれませんが、はっきり言ってこの本は抜群に面白いです。

面白さの一つは、普通に生活をしてきた人がどのように心の病を患い、発狂(本人もこのように表現している)するか、という過程が克明に語られている点です。

とくに本書のP114から語られる発狂の瞬間に至るあたりの描写は、発狂文学、発狂ドキュメンタリーとして読む価値のあるものでした。

この中で、著者は以下のようなことに気づいてしまいます。

僕がこの世界を作っている。もう少し穏当な表現をすれば、僕が観知っているこの世界は、僕のイメージの産物だ、ということに気がついてしまった。空想的な遊びではなく、実感してしまったのだ。普段使わない思考回路が次々とつながり始め、それまでの幸せな気分は吹き飛び、急転直下、地獄へ落とされた。

本書:P115

いち読者としてこういった描写を読むのはとても面白いわけですが、本人は大変です。

こういった考え方、と言うのは誰でも一度は夢想することかもしれません。本当は道の角を曲がったら、いままで歩いていた道の風景はドロドロに溶けてなくなってしまうのではないか?とか。この世は全て自分の空想が作り上げたものなのではないか、とか。

でもそういった考えは圧倒的なリアルな現実(少なくとも普通はそう見える)の前で色褪せ、結局は普通の日常に戻ることができるわけですが、こういった病を発症するということはつまり、そういった普通は一過性の考えであるはずのものがアタマから離れなくなり、それが現実に取って代わってしまうということなのでしょう。

「関係妄想」という言葉があるそうですが、著者はこの「関係妄想」の嵐に襲われます。

目に映るすべてが自分に対する何かしらの意味のあるメッセージのように思えてきてしまうというものです。

テレビのニュースも、街ゆく人たちの言葉も、新聞記事も、全てが自分に対する指令であったりメッセージであったりに思えてしまうのです。

また、この本は僕の少し前の世代の青春時代の記録そのものでもある、と感じました(著者は僕の15歳上です)。

当時のアイドルや音楽や漫画、映画、本など、少し前の世代が夢中になったものが随所に紹介されていて、そういった意味ではとても勉強にもなります。

著者はビートルズや大島弓子、川原泉などが大好きで、その点は僕も一緒です。

そして、一つの青春の記録としてもとても興味深く面白いものでした。

小林さんの文章は先ほども書いたように論理の破綻も無く、書いていること自体とても共感することや新しい発見が多かったです。

それは彼の妄想体験が面白いとかそういう点だけではなく、彼の興味の方向に僕もわかるわかる、と思うようなことが多かったということです。

使命感

でも、本当に越えてはいけない一線を越えて、何とか人格までは破壊されずに生還できた人間として、精神科医や専門家でも、病気のリアルな体験はしていないだろうし、一般の人達にとっても参考になるはずだ。

本書:P353

↑の引用を見てもわかるように、小林さんは本当にまじめで、世界がどうしたら良くなっていくのか、ということを考え続けている人でもあります。

そういう人だからこういう病気に、という言い方もあるだろうけど、病気の本当の原因は誰にもわからないのだと思います。

僕個人のことで言うと、大学時代に、ちょっとした失恋が原因で鬱々とした気分に陥り、数カ月アパートに引きこもっていた時期がありました。

幸い僕は精神科にかかることもなく、なんとか社会復帰したのですが、あの頃の僕は本人自身とてもつらかったし、傍から見てもちょっとヤバかったと思います。

そういう意味では他人ごとではない、とも思えます。

(きっと僕には発狂する才能が無かったのだろう、とも思います。)

小林さんは、2011年の時点まで何度も入退院を繰り返し、狂気と正気(日常?)の間を行ったり来たりしながら暮らしておられたようです。そこからいまに至る10年間は本書のあと著作が無いためわかりませんが、少しでも心健やかに暮らされていることを願います。

読みながら、ここに書かなかったようなこともいろいろと考えさせられました。

よかったら一度手に取って頂けたらうれしいです。

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