『日本奥地紀行』イザベラ・バード著 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー その7 新潟

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イザベラ・バードというイギリス生まれの女性旅行家が143年前に日本の東北地方や北海道を旅した記録『日本奥地紀行』をすこしずつ読んでいます。

いまさらながら、143年という時の隔たりを感じてしまう秋の夜長。

第16信 新潟にて

バード一行は新潟で1週間以上過ごしたようです。

新潟ではファイソン夫妻(フィリップ・ファイソン – Wikipedia)という宣教師夫婦のいる教会伝道本部(チャーチ・ミッション・ハウス)に逗留していたと書かれています。

よほど新潟を気に入ったのかな、と思ったら、

「残念ながら明日は出発する。残念というのは、町に興味があるからではなく、友人ができたからである。(P190)」

とちょっとドライですね(笑)。(友人というのはファイソン夫妻や本文で触れられているパーム医師セオボールド・パーム – Wikipediaらのことだと思います。)

この一週間ほどいやな天気を経験したことはない。太陽は一度だけ顔を出したが、三〇マイル(48㎞ほど)離れている山々は少しも姿を見せなかった。雲は茶色がかったねずみ色をしており、空気はどんよりとして湿っぽく、日中の温度は八二度(摂氏27.7度)で、夜は八〇度(26.6度)に下がる。家中がみな身体はだるく、食欲不振に悩まされる。夕方になっても涼しくはならず、無数の虫が、飛んだり這ったり、はねたり、走ったりする。

本書:P190

と、気候に関してはあまり良い印象を持っていなかったようです。

ただ、「しかし新潟は美しい繁華な町である。(P192)」とも言っていて、各種学校や病院、裁判所や兵営などが整っていることなどについても褒めています。

また、西洋風になっている官庁街などよりは、旧市街は美しい日本式の町並みで、そちらの方を積極的に評価してもいます。

宣教師のファイソン夫妻の娘である3歳のルースちゃんについて書かれている箇所が微笑ましかったので紹介しておきます。

(前略)ファイソン夫人と、三歳のきれいなイギリス娘のルースちゃんと一緒に歩くと、私たちの後から多くの群衆がいつもついてきた。(中略)ルースは、群衆に対して恐れの気持ちを抱くどころか、彼らに対してにっこりと微笑し、日本式に頭を下げ、日本語で彼らに話しかける。自分の国の人々から離れていたがる様子さえある

本書:P197

と、日本の人々に愛されるアイドルのような存在だったのだなあ、と思いますが、そこはやはりバードで

日本人は子どもたちに対して強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。彼らは風儀を乱し、噓をつくことを教えるからだ。

本書:P197

と返す刀でバッサリ斬ります。

こういうところを読むと、バードの根底にある日本人に対する蔑視というか強烈な差別意識のようなものにちょっとがっかりもしますが、一方で、バードにここまで思わせる何かが経験的にあったのかもしれないとも思います。

しかし、「143年前の記録ということは、ここに書かれている人々は愛らしい三歳のルースちゃん含め誰一人いまこの世に生きていないんだなあ」、と急に冷静に気づいてふとなんだか不思議な感覚になったりもしますね。

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