タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書) [ 近藤 正高 ] 楽天市場
タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書) Amazon
少し前に読んだ『ビートたけしと北野武』近藤正高 著 講談社現代新書 | 雨の星 探検記 (amenohoshi.com)の近藤正高さんの『タモリと戦後ニッポン』。時系列でいえばこちらの方が先に出版されています。
テレビでおなじみのタモリの、生い立ちから現在に至るまでの歩みは一つの立身出世の物語としても単純に面白く、またそれとともに戦後ニッポンの歩みを、膨大な資料とインタビューなどで構成してあり、それぞれのエピソードや解説もいちいち面白いです。タモリは1945年生まれで、まさにタモリの人生と戦後の歩みはぴたりと重なります。
芸人になるまで
タモリの祖父母や両親は戦時中の旧満州で大変良い時期を過ごしたそうで、その楽しかった思い出をことあるごとにタモリに言って聞かせたと言います(戦局が悪化する前に日本へ帰国しているというのもその良い思い出の一因のようです)。それは同時にタモリが生まれ育った福岡での暮らしをつまらないものに思わせ、目の前の現実を相対化し客観的に物事を見る視点を与えたようで、その後の我々が知っているタモリを思い起こしても、何かうなずける説明です。
タモリが育った環境には様々な外国からの影響も多くあったようです。キリスト教会が多かったり、韓国や中国のラジオ放送が簡単に届くエリアだったことは、後年の四ヵ国麻雀などの芸に昇華しています。
タモリの芸人になるまでの歩みも大変面白いものです。ジャズとの出会いから学園紛争吹き荒れる中(タモリは完全なノンポリだったそうです)での早稲田でのモダンジャズ研究会の話、大学中退後になった後、九州で保険外交員になったりボウリング場の支配人になったりフルーツパーラーの店長になったりと、結構いろんなことをしています。
タモリが再び上京するきっかけを作ったのはジャズミュージシャンの山下洋輔らとの出会いで、その出会いが非常に面白く書かれています。演奏旅行で福岡のホテルに泊まっていた山下達が部屋で飲んで即興コントのようなことをして騒いでいると、タモリが現れていきなりそれに加わって大盛り上がした顛末が、その場にいたいろんな人の証言で書かれています。それぞれの証言で少しずつディティールが違っているのも、羅生門みたいで面白いです。
上京~居候~デビュー
タモリが上京した後には、様々な文化人やテレビ関係者などとの交流の中でだんだんとその芸が評判を呼び、テレビやラジオへの扉が開いていきます。特に若い方にはタモリの芸と言われてもどんな芸?と思われる方が多いと思います。1977年生まれの僕でも、実際にタモリの芸を見たことはあんまりなく、徹子の部屋で披露される密室芸(それこそ四ヶ国麻雀などのデタラメ外国語の真似など)で知るばかりですが、もともとタモリはこういった芸で山下洋輔をはじめとする業界人を魅了し、かなりアクの強い芸人として世に出た人なのですね。YouTubeにもそういった動画が上がっているのでもし見られたことのない方がおられたらおススメします。
この頃の交流の中でとくに印象に残るのが、漫画家の赤塚不二夫とのエピソードです。タモリの芸に惚れ込んだ赤塚不二夫は、自分のマンションにタモリを居候させ、自分は漫画を描いていた事務所に寝泊まりしていた、という、家主と居候の奇妙な逆転現象が語られています。家に住まわせるだけでなく、小遣いや酒を与え、自分の服まで使わせてやる、また九州に置いて来ていた奥さんを呼び寄せて一緒に住んだり、などなど。しかもタモリは赤塚不二夫の存命中には一度もお礼の一つも言ったことがなかったのだから、世間の常識からは到底理解が出来ないですが、タモリには「居候道」あるいは「居候哲学」のようなものがあり、赤塚もそれを了解していた、ということらしいです。それが、有名な赤塚不二夫の葬式の時のタモリの弔辞ではじめてお礼を言う、というくだりで僕は涙が流れました。こんな人と人とのつながりもあるんだな、としみじみ思いました。
この時、手に持っていた紙が実は白紙だった、というのも話題になりました。
『笑っていいとも』、その後
デビュー後のタモリは、当初のアクの強い芸人、というイメージからだんだんと芸風を変えながら、『笑っていいとも』などの番組で国民的な芸人になっていったのはご存知の通りです。
個人的には、『タモリ倶楽部』のタモリは好きなだけど、『笑っていいとも』のタモリはあまり好きではありませんでした(テレホンショッキングは興味のある人の時は見ていましたが)。タモリ自身は好きだけど、あまりにも手を抜きすぎているように見えましたし、本来持っているタモリの才能を極限まで薄めて見せられている、という印象もありました。大学の頃だったか、『笑っていいとも』の観覧希望に通ったから収録に行ってくる、と言っていた友達のことを鼻で笑ったことがありました。今思えば、それはとても貴重な体験だろうし、良い思い出になっただろうと思いますが、その時には僕にとってはそういった視点もありませんでした。それほどまでに『笑っていいとも』は陳腐で、マンネリで、くだらないものの象徴のようなものでありました。多くの人が似たような印象を持っていたのではないか、と思いますがどうでしょうか?
でも、やはり失ってはじめて物事の価値はわかるのは世の常で、『笑っていいとも』も無くしてはじめてありがたみがわかったような気もします。もしかしたら、日本という国の形をゆるゆるとした形でそれとわからずに上手に束ねてくれていた番組だったのかもしれません…。自分は見ないけれど、自分の見ていないところで毎週の平日ずっと、あのくだらない薄い内容を繰り返してくれている、という安心感というか…。でも、もし再び番組が始まったとしても見るのは最初だけでそのうち同じようにくだらないなあ、と見るのをやめてしまうとは思います(笑)
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僕の印象に残ったことを中心に書きましたが、書かれているエピソードのひとつひとつがいちいち興味深く、面白く読みました。よかったら手に取っていただければ嬉しいです。
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