『女に』谷川俊太郎 詩集 佐野洋子 絵 集英社

本の紹介

女に Amazon

女に 谷川俊太郎詩集 [ 谷川俊太郎 ] 楽天市場

今回ご紹介したいと思った本は、詩人谷川俊太郎の詩集です(1931年12月15日 – )。谷川俊太郎 – Wikipedia

挿絵は画家、童話作家の佐野洋子(1938年6月28日 – 2010年11月5日)。佐野洋子 – Wikipedia

(僕は詩を理解できる能力が高くない、という自覚があります。

詩について詳しくないし、理解できる能力があるかわからないままこの文章を今書いているのですが、でもこの詩集にはそういった知識を超えて心をつかまれるものがありました。)

1990年から1996年の間、この二人は夫婦だったそうです。

(なんとなく夫婦であることは知っていたのですが、こんなに短い間の結婚生活だったとは知りませんでした。)

谷川俊太郎は3度目の結婚、佐野洋子は2度目の結婚。

谷川俊太郎の詩は、全て好きと言うほどファンなわけではないですが、好きな詩もあります。

佐野洋子のことは、絵本『百万回生きたねこ』や、私小説(?)の『わたしが妹だったとき』お母さんのことを書いた『シズコさん』などが印象に残っており、僕としては好きな作家です。

この詩集はもともと1991年に出版されているようなので、結婚生活の割と初期に書かれたものなのだと思われます。

この詩集には36の詩とその英訳、それに対応する絵が収録されています。

36の詩は、詩集のタイトルの通り、その当時の妻である佐野洋子にあてた愛の言葉であふれています。

その詩は二人が生まれる前から、誕生、子供時代、青春、恋、出逢い、それから死や死後の世界まで様々な時点をとらえて語られます。

ただ、その言葉たちは通りいっぺんのものではなく、もちろん詩人らしい、谷川俊太郎らしい言葉なのです。

冒頭の『未生』を引用します。

あなたがまだこの世にいなかったころ

私もまだこの世にいなかったけれど

私たちはいっしょに嗅いだ

曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを

そして知ったのだ

いつか突然私たちの出会う日がくると

この世の何の変哲もない街角で

本書:P6

この詩集を読んで、詩は、言葉は、本当に自由だなあ、と感じました。

詩は時を超え、時系列を飛び越え、逆転しながら、人間の通常の感覚を超え、常識を超え、距離を超えて言いたいことを言いたいようにズバッと自由に言っていいのだ!と叫んでいるような気がします。

実際、人が恋に落ちた時、その出会いは必然だ、とか運命だ、とか思うことはよくあることだと思いますが、この詩集では、全ての事象が、出会う前の2人の日々や人生全てが、後の2人の出会いにつながっている、という強烈なイメージに彩られています。

こういった考え方は、見方によっては統合失調症などに見られる妄想の類(目に映るすべてが自分への陰謀や啓示であると思い込むような)と似ているようにも思えるし(いま統合失調症患者だった人の手記を読んでいるのでこう思うのかも↓)、でも、だからこそ、この詩集は優れているとも思えるのです。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 (新潮文庫) [ 小林和彦 ] 楽天市場

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫) Amazon

素晴らしい芸術作品は常識の範囲から逸脱する部分が無ければ成立しないし、また意味がないとも思えるからです。

ただ、芸術家は常識を超えた別次元に飛び込んだとしても戻って来ることができる才能を同時に持っている必要があるのだと思います。

また、この詩集を読んでいると、恋や愛というのは、何歳であってもいつでも、否応なく現れて、全てを覆いつくして奪い、蹂躙(じゅうりん)していくものなのだ。といったイメージも強く持ちました。

愛は芸術家の持つレンズをさらに怪しく磨き上げるものだとも思いました。

そして、この詩集にはエロスや死の匂いも強く感じられます。

(それは、僕が佐野洋子が2010年に亡くなっていることを知っているからだけではないはず。)

現実には、二人はこの詩集が描くようには一生をともにする、ということにはならなかったわけですが、この詩集はそういったあり得たかもしれないパラレルワールドとして、ひとつの愛の姿を現実以上に強いビジョンで見せてくれます。

そのビジョンが僕にはとてもまぶしく、怖く、また魅力的にも見えたのです。

最近読んで強烈な印象を持った詩集だったので、ご紹介してみました。

よかったら一度お手に取って頂けたらうれしいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました