日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー329) Amazon
イザベラ・バードというイギリス生まれの女性旅行家が143年前に日本の東北地方や北海道を旅した記録『日本奥地紀行』をすこしずつ読んでいます。
僕はとくに人々の生活が垣間見られるような描写に個人的にはとても興味を持ちます。143年前にタイプトリップしているような感覚で読み進めています。
第5信 浅草 浅草寺についての記述
第5信はまるまる浅草寺についての記述になっていました。
読んでも読んでも雷門についての記載が無いなあ、と思って調べてみたら、雷門は1866年に焼失(それ以前にも何度も消失と再建を繰り返している)しておりバードが来日した頃には既になかったようです。その後1960年になって松下電器(Panasonic)の松下幸之助が寄進して再建するまで雷門は存在しなかったのです。雷門 – Wikipedia 知らなかった~。
落語好きにとっては浅草といえば遊郭のイメージもあると思いますが、そのあたりもサラリと触れられています。
この浅草においてこそ、東京のほんとうの生活が見られる。というのは、多くの人々の参詣する寺院の近くには、いつも数多くの遊び場所ーー罪のないものや悪いものーーがある。この寺の近辺には、食事や茶屋、芝居小屋が立ち並び、踊ったり歌ったりする芸妓のいる遊里もある。
本書:P54
参道(仲見世のことかな)の両側にはたくさんの店が立ち並んでいる、という説明もありました。バードは”とても美しい雪白水晶の形をした閃光を放つ”花火や、”花のしぼんだ小片のようなものが入っていて、それを水に浸すと、ふくれあがって木や花となる”ものなどを買い求めたと書いてあります。バードさん、意外と(?)可愛いものが好きなんだなあ、と可愛いものが好きなおじさんの僕は好感を持ちました。
昔の風習で今は見られないものについても書かれていました。
ある堂の中には大きな偶像が納められていて、紙つぶてが一面についている。彼を保護している網にも、何百となく紙つぶてがくっついている。参詣人は、願い事を紙片に書くか、あるいは上等の部類では、坊さんに書いてもらって、その紙片を噛んで丸め、神様に向かって吐きつけるのである。もし狙いがうまくいって網格子の中を通過すれば、それは吉兆である。もし網にひっかかれば、願い事はたぶん聞きとどけられなかったことになる。
本書:P59
え、そんなことして良いの?とおどろきませんか?調べると、いまの日本ではほとんどやられておらず、いまでは「熊本県あさぎり町の谷水薬師のみ」で唯一許されているようです(↓の記事)。それでも、ここで描写されているように、口に含めて濡らすようなことはないのではないでしょうか。
仁王様の三大信仰 – 渡仁の全国仁王行脚! (wordpress.com)
最近では新型コロナのこともあるし、こういったことは想像もできませんが、それだけ庶民にとって信仰が身近で当たり前で、切実だったということなのかもしれません。
浅草寺の裏手には矢場があって、弓矢で遊ぶ射的のような遊びができたそうです。
弓を射る人はほとんどがおとなの男性で、その多くは一時に何時間も費やしてこの子どもっぽいスポーツに興ずるのである。
本書:P64
この矢場、というのは実は売春の隠れみのであったと↓の記事にありました。当局に見つかると矢場い=ヤバい、という言葉の語源にもなったのだとか。
「やばい」の語源になった矢場の意味とは?歴史由来は江戸時代にさかのぼるって本当? – 田楽ブログ (den-gaku.com)
明治に入ってもそういう場所だったのかわかりませんが、旅行者であるバードにとってはそこまでうかがい知ることは難しかっただろうとは思われます。バードは浅草へ日本研究家のチェンバレンと行ったと書かれていますが、男性であるチェンバレンはあえてそういった背景までは説明しなかったかな、とも思いました。バジル・ホール・チェンバレン – Wikipedia
今回は浅草のことだけ書いて終わってしまいましたが、時間旅行者としてはその当時の人々の暮らしや様子を垣間見ることができる記述が面白い章でした。今後はバードさんはいよいよ旅に出ます。
『日本奥地紀行』イザベラ・バード著 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー その1 | 雨の星 探検記 (amenohoshi.com)
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