『鈍感になる練習 「気にしない」「考えすぎない」でラクに生きる』齋藤孝 内外出版社

本の紹介

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『声に出して読みたい日本語』の作者、齋藤孝さん。明治大学文学部教授なのですね。

この本では、いろんなことに敏感で繊細な人がもっと楽~に生きるにはどうしたら良いか、といういろいろなアドバイスが書かれています。

過敏症、HSP

僕自身、周りからはそんなに敏感そうには見られないのですが(笑)、自己認識としては結構細かいことが気になったり傷ついたりしがちで、生きにくい性格だなあ、と思っている方ではあります。自分で敏感だと思っている人(僕のこと)に限って、他の人が気になるところをスルーしてたりもするのかもしれないですね。だから人からは敏感そうに見られにくかったりもするのかも。

世の中には繊細で敏感すぎる人、過敏症といわれる人がいます。

最近では、HSP(Highly Sensitive Person)とも呼ばれ、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質を持った人」で、統計的には5人に1人があてはまるそうです。

本書:P1

齋藤さんは大学で教えられているのでたくさんの生徒さんと接する機会があり、最近の学生さんは人間的には良い人が多い反面、繊細な人が増えていると感じておられるそうです。

ただ、そういった生徒さんたちも齋藤さんの実施するプログラムで「気にしすぎ」「考えすぎ」を減らせることがわかっているそうです。

僕自身、HSPかどうかわかりませんが、もう少し生きやすくなればいいなあ、とは思っています。

本書:P18-19

ちなみに、↑のような自己診断の項目がありました。過半数の12以上にあてはまると過敏と言っても良い、と書いてありました。僕はちょうど12くらいでした。10~20代の頃とかだったらもっと数が多かったと思います。みなさんはどうでしょうか。

「自分自身が繊細である」、という自己認識は「その人らしさ」を作っているものでもあって、それを変えると自分が自分ではなくなってしまうと思う人もいるかもしれません。僕も特に若い頃はそういう認識を持っていたような気がします。でも、最近は「自分らしさ」なんてものはどんどん変わるものだし、変わっても変わってもその先にあるものが本当の自分らしさなのかも、なんて思えるほどには年を取るごとに少しずつ鈍感になってきているような気がします。

この本を読んで、僕の生活にも取り入れられそうな、心に響いたアドバイスを紹介したいと思います。

恥ずかしさを超えると、上達する

兼好法師の『徒然草』の中に、「第百五十段 能をつかんとする人(芸を身につけようとする人)」という文章があるそうです。

(口語訳)

芸事を身につけようとする人は、「うまくできない間は、なまじっか、人に知られないように、ひそかに習得して、それから人前に出たら、たいへん奥ゆかしいだろう」といつも言うようだが、こういう人は、一芸も習得できない。

本書:P48

たしかに、何かやろうとするとき、運動でも趣味でも、英会話でも、恥ずかしがらずにどんどん試してやる人は上達が早いように思います。僕も恥ずかしさやプライドを一旦わきに置いておく「鈍感力」を発揮していろんなことに挑戦してみたいと思います。このブログだって、自分の文章の下手さや考えの浅さをあんまり考えすぎないようにして書いています(笑)。

自分のことは、自分で褒める

現代社会は承認欲求を満たすことばかり考えていて、たとえばSNSの「いいね」が多ければうれしいし、少なければへこむ、という人が多いと思います。僕もその一人かもしれません。また、自分のダメな点やマイナスな点をを言って人から慰めてもらおうとする人も多いようです。

人からの慰めを求める癖のある人は、この「かまってちゃん」のような厄介な存在になっているかもしれません。こういう人は他人に依存しているため、「自給自足経済が成り立たないタイプ」と私は位置づけています。(中略)

私は20年ほど前から「自画自賛力の習得」を推奨しています。

「自分のことを人が褒めてくれないなら、自分で褒める」(中略)

ちょっと批判されたり、マイナスなことを言われるとイヤになるかもしれないので、自分の心の中で承認欲求を自給自足させていくのです。

本書:P56

これ、僕もやってみよう、と思いました。

「僕の今日のこの仕事のやり方、素晴らしかったなあ!」とか、「お客さんに対するあの話の返し方よかった!」とか自分で自分を褒めてあげる、というのはとても良さそうです。

一日の終わりに3つ良かったことを書く、というのが良いと聞いたことありますが、その日の自分の良かった点3つをノートに書いてから寝る、というのも良いかもしれません。

縁がなかった!

日本語独特の表現として「縁(えん)」という言葉が紹介されています。

何かで断られた時に「縁がなかった」と言ったり考えたりすると、だれも悪者にならずに傷つかずに終われる。確かにそうだなあ、と思いました。

僕も営業の仕事をしているので、勝ったり負けたりするのですが、相手との相性もあるし時の運というのもあります。もちろん冷静に反省する必要はあると思うのですが、必要以上に落ち込んだりはせずに、ある程度考えたら「縁がなかった」と前を向くことが大切なんだろうな、と思いました。

行動しながら修正、選択して人生が好転する

まずやってみて、やりながら考える、ということが推奨されています。これをするには鈍感力が必要ですが、確かに考えすぎて動けなくなるよりも、とりあえず動いてみる、というのが大切なんだろうな、と思います。

僕が勤めている会社の社長も同じようなことをよく言います。

「走りながら考えよう」

海外の医療機器などを仕入れて日本国内で販売する会社なのですが、とりあえずはじめてみて、お客さんの反応を見ながら考えていこう、というスタンスです。

うまくいかないことももちろんありますが、ある程度鈍感力を発揮してはじめてみる、というのは結果的にうまく行くことも多いです。

日常生活の中で何か新しいことをはじめるときでも同じかもしれません。「あれをやってみたいけど…」とついついマイナスなことを考えてしまいがちですが、やりはじめたら逆にマイナスなことに対する解決法も見つかったりするものかな、と思います。まず一歩、という鈍感力を僕も身につけたいです。

もう一人の自分を持つ

自分を超えた外から自分を見ているもう一人の自分、「不動の自分」を持とう、と書かれています。自分という存在がただただ主観に縛られた一人の自分だと、その自分が迷ったり焦ったりしているともう軌道修正ができなくなってしまいます。でも、その時にもう一人の「不動の自分」が外から自分を見つめられるようにしておくと客観的に自分をコントロールしたり軌道修正したりすることができるのだそうです。

本の中では瞑想や座禅をすることで客観的に自分を見つめることができるようになる、とありますが、個人的には、ヨガをはじめてから少し、そういう自分の視点を持てるようになってきたように感じています。そういう視点で自分を見ていると、過剰に自分を良く見せたりすることもなくなり、自然体でいられるようになるそうです。

確かに、なんとなく、以前よりも過剰に緊張したりするようなことが少なくなって自然体でいられるようになってきたような気がしています。

心配ごとは、自分が思っているほど起こらない

将来への心配はキリがありません。今回のコロナ禍は教訓やレッスンにしましょう。先のことをいくらか心配しても、こんなことも起こるんだ。まったく想像できないことで世界がこんなに変わってしまうんだから、あまり細かいことを心配しても仕方ないと。

本書:P107

これ、本当にそうだなあ、と思いました。

最近は新型コロナの1日の陽性者数もだいぶ減ってきましたし、確率で考えれば随分低いものです。地震への恐怖などもありますが、新型コロナも地震も、自分にできる範囲の準備や対策をしたらもうそれ以上考えても仕方ない、と考えるようにするしかないのだと思います。それ以上に、自分の想像をはるかに超えるような何かがあったら、その時はその時。そのくらい大らかにいたいです。

人と比べない

人と比べることはやめよう、とも書かれています。世の中の悩みや苦労は、他人と自分を比べることで生じることが多いと思います。

他人の方が才能があり、金があり、良い友だちがおり、良い生活をしており、成功しており…。と思うとどんどん自分がみじめになります。でも、人間はそれぞれにそれぞれの人生や物語を生きているのだと考えれば、人と比べることにはあまり意味がない、と思えるかもしれません。誰かの人生と自分の人生はどうやったって取り換えることができないのですから。

そして、自分が素敵だと感じることや心から嬉しいこと、というのは自分だけのものなので、それを追い求めることが良い、とも書かれていました。

自分にとって価値があることとは?

「心が動き出す」「魂が躍る」「手にグッと力が入る」

「本当にやりたい」「絶対に好きだ」「力を込めて言いたい」

これが自分の価値観です。

本書:P132

まとめ

本書には、繊細な人が、少しでも心を軽くして、人生を生きやすくするための考え方やノウハウがいろいろと書かれています。

人によって人生の課題や心に響く部分が違うと思いますが、いろいろなヒントが書かれていますので、僕は抜き出さなかった部分も含めて是非本を読んで確認してもらえたら、と思います。

自称「繊細」な僕も40代になって少し鈍感力が身についてきたかも、とこの本を読んで少し思えたのも事実です。10代や20代の頃にこの本に出会っていたら、とも思いました。でも、その頃はこういった本を読むモチベーションを持てなかったし、「聞く耳」を持っていなかったとも思います。人生はままなりませんね(笑)。

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