『バカの壁』養老孟司 著 新潮新書

本の紹介

440万部を超えるベストセラーとのことで読んだ方も多いと思いますが、いまさらながら読んでみました。

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バカの壁、と言うのは、一言で言えば終章に書かれているように、一元論に陥っている状態である、と養老さんは書かれています。

バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。

本書:P194

一元論と言うのは結局、原理主義、何か一つのことだけで世界を説明したり解決したり、その一つのことだけを信じる、ということだと理解しました。

一元論に陥ることによってわからなくなる、理解できなくなる、ということは様々な形で現れます。

それはわかりやすいところではキリスト教社会とイスラム社会との宗教戦争などにも表れます。

わかる、ということ

僕たちが普段、わかっている、知っているという時、雑学としてなんとなく知っている、ということを指してわかっている、と言ってしまうことが多い、と指摘されています。ただ、そういった表面的な知識でわかっていることと、本当に物事をわかることは本質的に全く違うのだ、ということです。

ある大学で、ある夫婦の妊娠から出産までのドキュメンタリーを見せた時に、女子学生達達が我がこととして「大変勉強になった!」と言ったのに対し、男子学生たちは「既に知識として知っていることばかりだった」と反応したそうです。これなどは、自分が知っている(と思っている)ことから一歩も外に出ずにその知識以上の世界があることなど思いもよらない、という一元的な考え方の現れのひとつです。

身体と脳

戦後、我々が考えなくなったことの一つが「身体」の問題です。「身体」を忘れて脳だけで動くようになってしまった。

本書:P88

この指摘は、とてもわかる気がします。僕も40歳を超えるまで身体との付き合い方がわからずにいたと思っていて、ただここ1年くらいヨガをするようになって少しずつその意識が変わってきているように思います。身体は頭と関連し、頭も身体によって影響を受ける。そんな当たり前のことに最近少しずつ実感を持てるようになってきました。まだまだ、その入り口にたったばかりですが。

オウム真理教に頭の良い学生たちがたくさん入信してしまったことも、身体と頭との関係を断ち切ってきた社会の原因である、という推測を養老さんはしています。修行を通じて得られる神秘体験について麻原はかなり熟知しており、教義に書かれたそういった神秘体験を麻原の『予言』通りに経験することによって彼らは麻原に心酔するようになっていった、といった説明です。それまでの人生で身体と頭の関係を知らないできた彼らにとってはそれは神秘以外の何物でもなく、「ただ一つの答え」だと感じられたのだと思います。

少し前に書いた『オウムからの帰還』(高橋英利 著)草思社文庫 | 雨の星 探検記 (amenohoshi.com)につながるひとつの知見だと思いました。

人生の意味

現代人においては、「食うに困らない」に続く共通のテーマとして考えられるのは「環境問題」ではないでしょうか。環境のために自分は共同体、周りの人に何が出来るか、ということもまだ人生の意味であるはずなのです。

本書:P112

人生の意味を感じにくい時代、なのかもしれません。僕も時々ボンヤリとその意味について考えることがありますが、ボンヤリながら思うのは、やはり自分が真に生きがいとか意味を感じるのは「誰かの役に立てている」といった利他的な行動の実感なのではないかと思うのです。自分一人の満足のために何かをしてもやはりそれだけでは人生のうるおいにはなり得ないと思ってしまいます。押しつけでも独りよがりでもなく、他者のために何かができたら!と切に思います。

様々なテーマを扱った本ですが、僕が響いた箇所について少し書きました。

いろいろな切り口があり、他にも興味深い内容がたくさんありました。

良かったら手に取ってみてください。

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