『クララとお日さま』カズオ・イシグロ著 土屋政雄 訳 早川書房

本の紹介

2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ (Wikipedia)の最新作『クララとお日さま』を読みました。

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カズオ・イシグロの著作は以前『わたしを離さないで』と『日の名残り』を読んだことがありましたが、とくに『わたしを離さないで』は強く心に残りました。

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『わたしを離さないで』は近未来、もしくはパラレルワールドの話で、通常の人間に臓器提供するために生み出されたクローン人間たち(見た目も実際にも人間と同じなのに)の悲しみと苦悩、しかしそれでも懸命に生きようとする姿を描いたものでした。映画にもなっていますのでよかったらチェックして頂けたらと思います。ただ、心が晴れやかになるような内容でもないので、趣味に合わないと思う方もいるとは思います。

以下、『クララとお日さま』を未読で内容を知りたくない方はご注意ください。

あらすじ

主人公はクララという名前のAFの少女です。AFというのは、Artificial Friend「人工親友」の略で、人工知能/AIを搭載したロボットのことです。物語のはじめ、クララはAFを扱うお店で買い手を待つAFたちの一人です。店長さんは、週替わりでAFたちを通りに面したショーウィンドウに出したり、店の中へ引っ込めたりと少しでも売れるような工夫を(当然ながら)します。クララは太陽光を動力源としているため、お日さまに対する一種、信仰のような思いを抱いています。ショーウィンドウに入った時に見たいくつかの奇跡のような出来事(クララの目から見れば)によって、その信仰は深まり、後々の彼女の行動につながっていきます。

この物語の語り手はクララ自身で、クララは非常に好奇心が強くAFのショップという限られた世界の中で生まれたての子供のように生き生きと目に見えるものを描写していきます。(AFたちはそれぞれの固有の性格があって、その設定はとても面白いなと思いました。)

クララはやがてジョジ―という少し病弱な女の子と出会い、郊外の草原に囲まれた彼女の家にもらわれていきます。クララはジョジ―やその母親、幼馴染のリック、家政婦のメラニアらとの暮らしの中で様々な出来事に遭いながら、ただただクララの幸せを願い、考え、行動していきます。

雑感

この物語はあらすじにも書いたように終始一貫してクララの目を通して語られるということもあり、最初結構戸惑いながら読んだ、というのが正直なところでした。たとえば、時にクララには目に見える空間がボックスのように区切られて見えていたりします。でも段々と独特な世界観に慣れ、引き込まれました。

最近うちに来た犬と重ね合わせてしまった

実は我が家では最近引越したのを機に、以前からの(とくに小1の娘の)念願だった犬を飼うことになりました。何度もペットショップに通ったりして最終的に飼うことになったティーカップ・プードルに出会ったのですが、犬たちの姿はクララたちAFが買い手が現れるのを毎日待ち続ける様子ととても重なるように思われました。犬の気持ちを知ることはできませんが、きっとこのクララのような思いでケージの中から入れ代わり立ち代わり現れる人間たちを見ていたのかしら?などとこの本を読みながら思いました。クララの元へはジョジ―やほかの女の子も現れるのですが、クララは明確にジョジ―に買ってほしいという願いがあって、他の女の子に対しては冷たい態度を取ったりします。最終的にクララは願通りにジョジ―の家に買ってもらうことができたわけですが、我が家に来た犬も、僕の家や家族を本当に自分の家や家族だと思ってくれるように、そして来たことを良かったと思ってくれるように大事にしたいな、と思いました。

クララはB2という型のAFなのですが、ショップには最新型のB3もいて、そこではAF同士のやり取りの中に微妙な差別意識のようなものもあったりします(B3の方に優越感がある)。また、お客の側でも「どうせ買うなら、より機能の優れたB3を」といった思いがあったりもします(実際クララには無い嗅覚がB3には備わっていたりします)。犬たちにお互いに対する劣等感や優越感のようなものはおそらくないと思いますが、犬を選んでいる時の自分をかえりみて、やれトイプードルが良いの、やれ毛があまり落ちない犬種が良いの、といったやり取りがAFを買いに来ている人間たちと似ているなあ、とも思ったものです。

ひたすらに奉仕する姿

クララは、そのようにプログラムされていた、ということもあるのかもしれませんが、本当にひたすらにジョジ―の幸せのことばかりを考えて、行動する存在です。その行動は自分の命(と言っていいのであれば)をかえりみない無償の行動です。

このような姿は、人間が誰か愛する人に対してここまで無防備に本当に愛しぬくことができるのだろうか?という作者からの問いかけのようにも思えました。でも、クララのように考え行動できるのは死を恐れないAFであるからこそではないか、とも思えます。しかし、逆に人間でも死への恐怖さえ乗り越えることができればどこまでも強くなれる可能性があると言えるのかもしれません…。

クララの強さ、無償の愛というのは、どこかテロリストのような危険さも感じさせるものです。実際、物語の後半でクララはある種のテロ的な行動に出ます。とても賢い、洞察力のあるAIなのに(だからこそ?)人間の常識では考えられない全く違う発想につながっても行きます。

人間が人工的に進化する世界

物語の世界では、人間が2つの階層に分かれています。一方は「向上処置」を受けている人たち、他方は受けていない人たち。「向上処置」というのは具体的にどのようなことをするのか語られませんが、おそらく脳機能を向上させるような何らかの手術か何かだと思われます。実際、この処置を受けていない若者にはほとんど大学進学の機会さえ与えられません。一部の大学には例外がありますがものすごい狭き門です。

また、この処置には非常な危険が伴うことも示唆されており、ジョジ―のお姉さんはこの向上処置が原因で亡くなっているようですし、ジョジ―自身もこの処置により病気が進み、死に瀕しているのです。そこまでしてまでも子どもたちにこの処置を受けさせようとする社会・世界の矛盾、そしてそれを受け入れざるを得ない親たちの気持ちというのがとてもつらく胸に迫ります。

ジョジ―の幼馴染で隣の家の住人のリックは母親の選択でこの処置を受けなかった少年です。類まれな才能を持ちながらも処置を受けなかったばかりに周囲からは冷たい眼で見られ、将来に不安がつきまといます。(物語の最後にはそんな彼にも生きる道が見つかっていくのですが、処置を受けずに生きていく人々の姿は、ちょっと的外れかもしれませんが、どこか昔読んだ『華氏451』の書物を全て消し去ろうとする徹底した管理社会の中で、一人一人が本を丸々暗記して後世に残そうとする人達の姿に似た印象を持ちました。)

置き換え可能かもしれない「私」という存在

物語の中でも一つの非常にショッキングな内容になるかと思いますが、ジョジ―の姉を以前に亡くしている母親が、衰弱していくジョジ―の死を見越してジョジ―そっくりのAI人形の作成を知り合いに依頼していたということが分かる場面があります。そして、その中身のAIそのものは観察眼に優れジョジ―の発言や行動をそっくりに物まねすることができるクララに担わせようとするのです。この場面にはとても異様な印象を与えられましたが、何かに似ているな、と思いました。それは『鉄腕アトム』の中でアトムを作り出した天馬博士でした。天馬博士は自動車事故で愛する息子を失った悲しみを、息子そっくりのロボットを作ることによって癒そうとします。天馬博士の試みは最初うまく行ったかに思われたものの、成長することのないロボットを見るたびに天馬博士の失望は膨らみ、ついにはロボット(アトム)をサーカスに売り飛ばしてしまうまでに至るのです。おそらくジョジ―を亡くした後に母親がジョジ―そっくりのAI人形を手に入れたとしても、同じような結末になるのではないかと僕には思われました。

ただ、もしかすると母親は「新しいジョジ―」をジョジ―そのものだと思い込み安らぎを得て、手放すことができなくなるという可能性もあります。その場合、ゆがんだ選択であるとはいえ、人間であるジョジ―はそのAIロボットに置き換えられる存在であったともいえるかもしれません。もしそうだとするなら、人間の独自性というか「その人がその人である」という根拠ってなんだろう?とか、「僕にそっくり同じ思考をする計算ソフト」ができたときに、それってもう僕なんではないか?といった足元が無くなって深い地面に落ちていきそうな恐怖のようなものを少し感じました。

最後に

本書は、おそらく読む人によっていろいろな切り口で感じ取ることができる独特な小説だと思いました。もし興味を持っていただいたら是非読んでみてください。(あと、装丁も素晴らしいですね。)

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