『日本奥地紀行』イザベラ・バード著 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー その4 日光にて

本の紹介

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イザベラ・バードというイギリス生まれの女性旅行家が143年前に日本の東北地方や北海道を旅した記録『日本奥地紀行』をすこしずつ読んでいます。

今回の箇所では、当時の日本人の生活ぶりや、親子関係などに心打たれるところがありました。

第7信 日光での宿泊先

3日間の人力車での旅でバード一行は日光に着きます。バードは日光に2週間ほど滞在していたようです。

前回の第6信の最後の方で、金谷さんという宿の主人が出て来るのですが、バードらはその宿に泊まります。この宿は後に金谷ホテルという有名なホテルになったそうです。↓

歴史 | 金谷ホテルの魅力 | 【公式】金谷ホテル(ベストレート保証)|世界遺産・日光東照宮へのご旅行に (kanayahotel.co.jp)

金谷さん一家はもともとは本業の宿屋ではなかったようですが、その家は大変手入れの行き届いた純日本風の綺麗な二階家で、「紹介状持参の外国人に貸している。(本書P99)」とあります。

この村は入町(いりまち)という名前で、バードは大変気に入ったようです。

これは美しい日本の田園風景である。家の内も外も、人の眼を楽しませてくれぬものは一つもない。

本書:P96

家の調度品や庭の様子、村の自然についてもしきりに褒めています。

また、金谷さんの妹も大変上品でやさしい人だと書いています。(金谷さんも妹さんも離婚してお母さんと妹さんの子供たちと一緒に住んでいます)

こんなきれいで風情のある宿には今の日本でもきっとなかなか泊まれないだろうな、と思わせられます。

でも

金谷さんは神社での不協和音(雅楽)演奏の指揮者である。

本書:P98

といった少しのディスりも忘れないのがバードの面白いところです。

第8信 東照宮の感想

私はすでに日光に九日も滞在したのだから、「結構!(ケッコー)」という言葉を使う資格がある。

本書:P100

こういう言葉、きっと同行している案内人の伊藤が教えたのだろうな、と思うとその様子を想像して少し面白くなります。

この章では日光東照宮の様子を紹介して、盛んに褒め称えています。

有名な陽明門については、

毎日そのすばらしさを考えるたびに驚きが増してくる。

本書:P103

と書いたり、また、

中庭から中庭へ進んでゆくと、次々とすばらしい眺めに入るように感ぜられる。これが最後の中庭だと思うとほっとして嬉しくなるほどである。これ以上心を張りつめて嘆賞する能力が尽きはてようとしているから。

本書:P104

社殿の美しさは、西洋美術のあらゆる規則を度外視したもので、人を美のとりこにする。そして今まで知られていない形態と色彩の配合の美しさを認めないわけにはゆかない。

本書:P109

などとも書いています。

僕自身は日光には小学校の修学旅行で行ったような気がしますが、さして強い感動を覚えた記憶がありません。子供っぽい印象で眠り猫とか見ざる聞かざる言わざるの三猿とかは印象に残っていますが・・・。今行ったらまた違うのかなあ。

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「私たちが中庭を通っているとき、地震を二回感じた(P108)」という記述になぜか少しドキッとしました。最近千葉や東京で大き目の地震があったので、時を超えて何かシンクロというか呼応しあうようなものがあるような感じがしたのです。まあ、日本にいたら地震があるのは普通のことですが。

第9信 日光山 湯元 屋島屋

バードはここではじめて駄馬での馬上旅行をして、日光山の湯元まで行きます。この馬に乗るのはなかなか難しかったようで、坂を下るときに馬の頭の方に滑り落ちて泥の中に飛び込んだ、といったことも書かれていました。

屋島屋という宿はとてもきれいな宿だったようです。「この宿屋は、内も外も美しい。旅行でよごれた人間よりも、美しい妖精が泊まるにふさわしい。(P114)」

湯元、というだけあってここは湯治場で、4つの浴場は大変な人混みだったようです。「元気のよい病人は一日に十二回も入湯する!(P116)」とありました。「元気のよい病人」という表現面白いですね。

ここでは、同行している伊藤が「上前をはねる」様子を見たと書いてあります。当時はそういう文化だったのでしょうか。

召使いは、何を買うにも上前をはねる。ホテルの費用についても同じである。それは非常に巧妙になされるから、それを防止することはできない。それが妥当な限度を保っている限りは、それについて心をわずらわさないのがいちばんよい。

本書:P117

第10信 入町(いりみち)村の人々

ここでは再び金谷さんの宿のある入町(いりみち)の人々の生活が描かれています。

金谷さんの家では夜にお客さんがくると、帰り際にお酒がふるまわれる様子が書かれています。お酒が入ると、召使いが歌ったり踊ったりしてみんなが笑い転げる様などもなんだか微笑ましいです。(バード自身は醒めている感じですが。)

そのほか、学校や家庭での子供たちの様子や、子供たちのためのパーティーの様子などがあってとても面白く読みました。パーティーで女の子がおめかしをした様子を「安っぽい人形の顔(P121)」とか「すべてが下手くそに作られた人形(P122)」といった表現で書いていたりして、「村の人達にこんなに良くしてもらってるのに、バードさん、あなたの情緒どうなってるの?」と言いたくなる時もあります。

ただ、親と子供の関係性についての描写には僕は心打たれました。

私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。こどもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれたやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。

本書:P131

これは日本人全般のこと、というよりはこの村の人たちの様子なので自分の先祖がこのようであった、というのは早合点だとは思うのですが、143年前の自分の先祖もきっとこうであったろう、こうであってほしい、と思ったりしました。

夜になり、家を閉めてから、引き戸をかくしている縄や藤の長い暖簾の間から見えるのは、一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけていない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊の上に寄せている姿である。

本書:P131

と、心温まる情景を描写する際にも、やはり「醜い」と書かずにおれないバードさんを少し面白くも思ってきてしまいました。

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案内役の伊藤について、こんな記述がありました。

私は彼を醜い男だと思っているのだが、彼は虚栄心が強く、歯を白くみがいたり、鏡の前で念入りに顔に白粉をぬったり、日に焼けるのをたいそう恐れている。彼は手にも白粉をつける。爪をみがき、手袋なしでは決して外出しない。

本書:P135

伊藤さん、当時の男性としては結構変わった部類のひとだったのかもしれませんね。でもこういった少し揶揄するような記述があるかと思えば、

伊藤も優秀な通訳であり、私に忠実らしいと思われてきたので、当地に滞在するのはとても愉快である。

本書:P125

といった、伊藤を高く買っているような記述もあり、読んでいる側としては二人の関係性に少し安心します。

次回からバード一行は日光に別れを告げて「未踏の地」へ分け入っていくことになります。

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