『鬱屈精神科医、怪物人間とひきこもる』春日武彦 著 キネマ旬報

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著者の春日武彦さん(春日武彦 – Wikipedia)は精神科医で、病院勤務を経て病院の院長を務められたり、大学教授などもされながら多くの著作を書かれている方のようです。この方の本を読んだことがあるように錯覚していたのですが、実際は今回がはじめて読んだ春日さんの著作でした。Wikipediaに書かれている他の本も面白そうなので、今後チェックしていきたいと思います。

どんな本か

タイトルからは内容がわかりにくいですが、この本がどんな本かと言うと、おそらく社会的には「先生」と言われ、病院の院長まで務める成功者と思われているであろう春日さんが、実際には心の中にかなりドロドロとした、それこそ「鬱屈」したものを持っていて、そういったわだかまりや有象無象に対する恐怖心や執着などのレンズを通してかなり偏執的・偏愛的にB級映画(出版元がキネマ旬報ですしね)や小説などの作品を論じていく、というものです。扱われるのはホラー映画やモンスターが出てくるような映画、殺人やマッドサイエンティストの出てくる映画など、少し(かなりかな)偏っているものが多いです。また、小説はそれらの原作だったり関連の小説だったりします。

そしてそのドロドロ加減が僕にはとても心地よく、大変面白い本でした。僕自身、どこか心にドロドロしたものを抱えて生きている一人だからです。

映画と僕

僕自身が映画ファンかと言うと、残念ながらそうは言えなさそうです。かつては映画や映像の世界で働きたいと思い、映画の学校に通っていたこともあり、映画を全く観ない人に比べれば観ているかもしれないけれど、映画ファンと呼ばれる人たちと比べれば圧倒的に観ていないです。

ちなみにこの本では80本ほどの映画が紹介されていますが、そのうち僕が観たことがあったのは、15本くらいでした。

そもそもいま考えると、映画を仕事にしたいと思っていた当時の僕の気持ちもどこか中途半端なもので、大学を卒業してからさらに映画の学校に行くという親不孝を犯してもなお、僕の心はどこかくすぶっており、社会に出るまでの時間稼ぎをしていたような節(ふし)もあります。

また、最近は本当に全然映画を観なくなってしまっていたので、この本をきっかけにまた少しずつ観ていきたいな、と思っているところです

早速この本を読んでから、『ザ・フライ』ザ・フライ (字幕版)(監督デヴィッド・クローネンバーグ、1986年)という転送装置によってハエと融合してしまう科学者の話と、『ガス人間第1号』(監督本田猪四朗、特技監督 円谷英二、1960年)を観ました。『ガス人間第1号』ガス人間第1号は話の展開などにツッコミどころは多い気はしますが、当時の街並みや人々の顔つきを観るだけでも興味深い(今の映画にはない、人間味の溢れる顔ばかり)し、1960年の八千草薫の美しいこと!彼女を見るだけでもこの映画を観る価値はあるなあ、と思いました。

『ザ・フライ』はPrime Video 経由でオンラインレンタル、『ガス人間第1号』はNetflixで観ました。

春日武彦さんとモンスター

春日さんは1951年生まれとあるので、今年70歳になられるようですが、20年程前に引きこもり生活をしていたことがあるそうです

仕事をすべて辞めて、引きこもってみた時期がある。五十歳を少し過ぎた頃のことで、とてもじゃないが分別のある人間の行動とは言い難い。しかし、毎日患者の悩みだの辛さだの妄想だのと付き合っていくのがいきなり嫌になったのである。理由はそれだけではないものの、とにかく何もかも嫌になった。うんざりした。バカンスを取るというよりは、自傷行為に近い振る舞いとして世間の流れから「降りた」のであった。

本書:P12

ご自分でも書かれている通り、奥さんが優秀なナースだったり、経済的な余裕もあるからできることではありますが、精神科医として働く、ということがいかに過酷なのか、ということが想像されます。また、そういった部分以外に、精神科医としての自分というよりは、物書きである自分の悩みがそうさせた、ということも書かれています。

こうした鬱屈した気持ちで引きこもり生活をしている中で、B級ホラー映画やラム酒入りのミルク(蠅男の好物がこのラム入りミルクらしいです)が春日さんの引きこもりのお供になったとのこと。

後の方の章にも書かれていますが、春日さんはこうしたB級映画のモンスターや特殊なシチュエーションに対して愛憎入り交じりながらも強いシンパシーを感じられているようです。

タイトルにある怪物人間とは、映画や小説に出てくるモンスター自身でもあり、また、彼らにどこか自分の分身のような感情をいだく春日さんそのものでもある、というわけです。

精神科医のアタマの中

春日さんがとある患者さん(50代の女性)との話の中でその女性の夫について聞いた時、こんなことがあったそうです。

彼女はあっけらかんとした調子で、

「あの人は、二十年前に蒸発しました」と、答える。

蒸発?一瞬、路上で一人の男がみるみる気化して空中に拡散していく光景が浮かんだ。まるで阿部公房が小説に描きそうな光景じゃないか。それが小説でなくて現実から立ち上がってくる感触は、粒子の粗いモノクロ画面のようにざらついている。

本書:P40

アタマの中で考えることだから、別に何を考えていたっていいのですが、正直「え、こんなこと考えながら診察しているの?」と思ってしまいました(笑)。ただ、僕だって誰かと話している時に全然別の考えに囚われている時があるし、おかしな連想をしていることはよくあります。そういう意味では、医者だって同様だろうな、とは思いました。

また、よく考えると医者は、とくに精神科医はどこか常識から外れたようなところがあるからこそ信じられる、ということもあるかもしれません。もしも僕が精神科の患者で、神様のような立派な精神科医に診察されるとしたら、それは苦行でしかないのではないか?と思ったりもします。

その点、少なくともこの本から見えてくる春日さん像は、ご自身もかなりダークなドロドロを抱えたまま生きており、たまに本当に自分も病みそうになりながらもかえってそのパーソナリティによって優秀な精神科医たりえているのではないだろうか?と勝手に思いました。

光と闇を抱えて

ただ、そういったドロドロしたものというのは、多かれ少なかれ誰しもが抱えているもので、普通の人はそれを見ないようにしているだけかもしれません。社会が成熟してくると、人間の原初的な欲望に根差したような物事や文化は(少なくとも表面上は)廃れていく運命にあるわけですが、そういった欲望とかドロドロは決して消え去るわけではなく、それぞれの心の闇の中に深く深く沈殿し続けるのではないでしょうか。そういった普段は形を持たないドロドロした闇が形を成して表面にでてくるのがホラー映画やB級映画と呼ばれるものなのかもしれません

この本は、ちょっとマニアックな映画や小説を扱っていますが、そこで語られる内容には普遍的なことも多く、大変面白いものになっています。これを機にまたいろんな映画や小説の世界に浸りたいと思わせてくれました。よかったら是非お手に取って頂けたらうれしいです。

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