ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21) Amazon
【中古】 ひとりぼっちを笑うな 角川oneテーマ21/蛭子能収(著者) 【中古】afb 楽天市場
本書はテレビなどでも活躍されている、蛭子能収さんの著書です。
蛭子さんて、テレビではヘラヘラしながら、薄笑いを浮かべて時々変なことを言う、みたいなキャラですが、本職は漫画家、ということを知らない方もおられるかもしれません。僕も随分前に数冊読んだことがある程度で具体的な内容を覚えていないくらいなのですが、独特の世界観で面白かったのは覚えています。
最近では初期の認知症であるという報道がされているのもなんとなく知っていました。
[漫画家 蛭子能収さん]認知症(1)ホテルを自宅と思い込み、マネジャーに「なんでいるの!?」 | ヨミドクター(読売新聞) (yomiuri.co.jp)
本書は、2014年に出版されています。
ひとりが好きな蛭子さん
蛭子さんは小さな頃からひとりを好み、グループで群れない性格だったそうです。
孤独が好き、というよりもその生い立ちから(父は漁師で不在なことが多く、母と二人暮らし状態。ひとりで遊ぶことが多かった)ひとりでいるのが普通だった、ということのようです。
飲み会が嫌いで、大皿料理が嫌いで、中学生の頃弁当の中身を見られたりおかずを交換したりが嫌いだったとか。
大皿料理が苦手と書いたのですが、料理以前に、みんなで集まって大人数の状態でベチャベチャしゃべっている時間も苦手かもしれない。
自分があまり積極的にしゃべるタイプじゃないっていうこともあるのですが、あれは一体なんの話をして盛り上がっているのかな?というか、全体的にくだらないことをしゃべっている気がする・・・・・
本書:P25
正直すぎるぞ、蛭子さん!
できることならすぐにひとりきりになって好きなことをしていたい、という性格だそうです。
蛭子さんほどではないにせよ、僕も似たようなところがあるなあ、と読んでいて思いました。
小学生の頃とか、小学校のサッカークラブに入っていたので他の子とワイワイしていることもありながら、どちらかというと一人で本を読むのが好きだったし、ひとりで少し離れた図書館まで自転車で行くのが好きでもありました。図書館への道すがら、サッカーの友達に会って図書館に行くと言うと、
「ひとりで図書館行くなんて信じられない」
と返事をされたこともありました。その時初めて、一人で図書館行くのっておかしいの?と思った記憶があります。人と話すのも一緒にいるのも好きですが、それはひとりでいる時間がベースにあってのこと、という気がします。
お葬式で笑ってしまう蛭子さん
この話はどこかで聞いたことがあるのですが、蛭子さんはお葬式に行くと笑ってしまうという習性(?)があるそうです。
普段から、お葬式自体が嫌いで行かないようにしている(ほんと正直すぎる!)らしいのですが、どうしても行かなくては行かないときもあって、その時は極度に緊張してしまい、その緊張の裏返しでついつい笑ってしまうとか。
誤解してほしくないのは、葬式で悲しんでいる人たちが滑稽に見えるとか、おかしいわけじゃないんです。そういう儀式みたいなものに参加して、一生懸命みんなと同じようなフリをして、どうにか迎合しようとしている自分自身がものすごくおかしくなってしまうんです。
本書:P30
たしか、漫画の『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも蛭子さんがモデルの人物が出てきてお葬式で爆笑するという場面があったような気がします。
奥さんが大好きだった
そんな蛭子さんですが、30年連れ添った最初の奥さんのことは本当に大好きだったそうです。ひとりが好きな蛭子さんが、ふたりでいたいと思った、そんな人がいたということがかけがえのないことだなあ、と思いました。そんな奥さんが亡くなったときには、ひとりが好きな蛭子さんもさすがに猛烈に孤独を感じたそうです。葬式の時にももちろん笑うどころかずっと泣いていたと書かれていました。
30年連れ添った妻の死。それは、まるで自分のなかの一部がもぎ取られてしまったかのような、とてつもない喪失感でした。思えば、そのときに初めて、僕は本当の”孤独”というものを知ったのかもしれません。
本書:P197
その後、蛭子さんは別の女性と結婚されていますが、だからといって前の奥さんとの関係が嘘だったとも僕は思いませんでした。
独特な主張は多いけれど
この本を読んでいると、当然のことながら、共感できる部分もありながら「それはまた極端すぎる」と思うような主張も多いです。たとえば、ニートやひきこもりに関する記述とか。
ただ、「ニート」っていうのはどうなんだろうな……?それはもう”労働意欲がない”ということですよね。あと、「ひきこもり」みたいな人も理解はできない。他人と接するのが嫌なのかな?でも、それは現実的には許されない生き方ですよね。いつまでも親の世話になるわけにはいかないし、誰かに迷惑をかけながら生きていくのは、自分自身も精神的にきついでしょう。なによりも、それは本質的に自由ではない。自分で働いてお金を稼いでこそ、誰に憚ることなく自由でいられると、僕はそう思うんです。
本書:P170
僕自身は今でこそ幸いにもニートにもひきこもりにもならずに働いていたりしますが、若いころは特に人生に見通しが持てなかったり、生きていくということ自体に希望が見いだせないような時期があって、どこかで間違えばニートやひきこもりになっていた可能性があったと思っています。頑張ってもなにか歯車が狂えば働けないことだってあると思っていて、なので蛭子さんの↑のような主張はあまり受け入れられないなあ、と思ってしまいます。同性愛の人に、「同性愛は理解できない。治しなよ。」というのと似ていると思います。自分ではどうしようもないことってたくさんあるけれど、そういったことを包み込む多様性のある社会がいいな、と僕は思っているのです。
とはいえ、蛭子さんの考えは極端だから読んでいて面白い、というところもあり、反発するような内容の部分も含めて面白い、と思いました。
よかったら手に取ってみてもらえたら、と思います。
コメント