『老いの整理学』(外山滋比古 著)

本の紹介

老いの整理学 (扶桑社文庫) | 外山 滋比古 |本 | 通販 | Amazon

どうも最近、死や老いといったものに興味があり、こういったタイトルの本に惹かれてしまいます。今まさに死に瀕していたり老化をものすごく感じている、ということでもないのですが(老化は多少感じているか…)、生きている限りはどちらもやがて確実に訪れるものだから興味があるのだと思います。

この本は、外山さんは1923年生まれでこの本は2014年に出版されているのでその時点で93歳になるリアルな老いのリポートであり、老いの日々をより良く生きていくためのヒントがたくさん書かれています。ただ、それらは読んでいるうちに老いた人のための知恵、というよりはもっと一般的に生きるための知恵であることに気付かされます

招待を断わるな

この本の中では再三、友達の輪を広げよう、おしゃべりをする場を意識的に持とう!と書かれています。

会があったら出席しなさい、というのはよい教訓である。日本では、OBなどのクラス会があると、欠席と決めている人が少なくない。

本書:P17

僕などはまさにこの手合いで、OB会だとかクラス会とかにはほとんど出たことがないです。お互い様なのだが、見た目も考えも変わってしまった自分自身を誰が見たいだろうか、話をしたいだろうか、などと思ってしまうし、幻滅させたくない、などとも思ってしまいます。自意識過剰なのですね。このあたりはもっと老いる前に是非直していきたいところです。

新しい友達

新しい友だち、仲間を新しくする。利害関係が無く、違った経歴の人がいい。そういう新しい友だち、仲間をこしらえるのはたいへん面倒であるが、できれば、老いの年を忘れることができる。それぞれ違った人生を歩んできた人たちである。自分の知っていることを相手、ほかの人は知らない。相手の知っていることはこちらが不案内である。それぞれにシロウトである。そういう人間同士のおしゃべりがおもしろく、楽しい。

本書:P31

なるほどな、と思います。僕の場合はいまでも人づきあいがあまり良い方ではなく、放っておけば仕事以外では家族としか話さないままになってしまいがちです。最近、僕にとってありがたいのは、こどもの保育園のつながりです。普段の仕事では知り合わないタイプの親と一緒にご飯を食べたり、お互いの家に行ったりといったことが僕にとっては刺激になります。とはいえ、今の友人関係をキープすることもちゃんとしないとな、と思います。しかし、新しい世界を求める外山さんのこのエネルギーはすごいな、と思います。

忘れることの大切さ

人間はみな、生まれながらに忘れる力をもっている。ものを覚える力も同じようにもっている。学校などでは、覚える記憶の力だけを伸ばそうとしていて、忘却の大切さを見落としている。

本書:P45

努力によって、ものを忘れるようにするのが新しい知恵である。忘れようと思うだけでは、なかなかうまく忘れることは望めない。過去を振り返るより、前向きに、これからのことを考える。今していることが終わったら何をしよう、といったことを考える。そうすると自然に、ふるいことを忘れる。余計なことは消えてなくなる。

本書:P47

忘れることが大事なのだ、というのは逆説的でありながら真実を突いていそうだな、と思わされます。生きているとどうしても記憶のゴミのようなものが頭に残って、過去のことなのに不安になったり後悔の念に苛まれて(さいなまれて)しまうことがあります。そんな時にこの考えがヒントになるかもしれません。外山さんのこの考え方は、ヨガやマインドフルネスの考えにも通じる感じがします。マインドフルネスは、「今、ここ」にフォーカスする点でちょっと違いますが、外山さんの考え方は未来にフォーカスをあてたマインドフルネスと言えるかもしれません。

ストレスとの付き合い方

ストレスを溜めてはいけない。だからといって、ストレスを減らしすぎたストレス・フリーの状態にとどまるのも、過多と同じくらいよくない。(中略)ストレスは新陳代謝しているのが望ましい。溜まったら、発散、放出して、ストレス・フリーの状態にする。そこで、新しいこと、別の活動をして新しいストレスを溜める。

本書:P60

この考えが腑に落ちる、と言う人は多いのではないでしょうか?毎日仕事ばかりで疲れたよ、と思って、GWなどの比較的長期の休みにボーっとしているとそれはそれで苦痛になってくるといった感じで、人間はストレスだけでもストレス無しでもうまく行かないんだなあ、と思わされます。先日書いた、『集中力はいらない』の中で言われていたことも、集中と分散という2項対立で論が進んでいましたが、「集中がダメで分散が良い」、というよりはこの二つの極端の間を行ったり来たりすることが大事なのだ、と読むこともできるな、と思いました。『集中力はいらない』(森博嗣 著) | 雨の星 探検記 (amenohoshi.com)

何事も極端なだけではダメで、中庸、というよりは両極端な中をさまよい続けるのが健全なのかもしれません。

私製の原稿用紙を作る

著者が若いころ、出版社で編集の仕事をしていた時に、自分専用の原稿用紙を2千枚発注したことがあるそうです。そのころには物書きにはなっていなかった著者は、当てもないままにこの2千枚の原稿用紙を埋めることで文章力を磨き、その後の仕事につながっていったそうです。また、90歳を超える彫刻の大家が、高齢にもかかわらず10年分の材料を仕入れた、という話もあるそうで、人は一見多すぎるような白紙の原稿用紙や材料があると何もないよりも頑張れていまう、ということのようです。

これは、僕にとってはこのブログかもしれない、と思いました。このブログを用意したことで、なんとなく毎日何か書かなければ、と思っています。これが「何か」につながることがあるかもしれないし、つながらないかもしれないですが、まだ始めたばかりですがこのブログで何かを書くことによってなんとなくボンヤリと散漫だった自分自身の輪郭が少しだけハッキリしてきたような感覚があります。もしよかったら今後もこのブログにお付き合いいただけたら嬉しいです。

他にも面白い内容がたくさんあるので、よかったら手に取っていただきたい本です。

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老いの整理学 [ 外山 滋比古 ]

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